冨山和彦の国立大学への提言が酷かったのでメールを送ってしまいました
僕はこの冨山和彦という人物は初めて知ったのだけども……何だこりゃ、というのが正直な感想。
というので、感想をしたためて読売新聞に送りつけてしまいました。本文にも書いたけど、散漫でまとまりがなく、残念な文章になってしまったけども、敢えてまとめ直す気力も時間もなかったのでそのまま送信しました。
以下、そのメール。多少このブログ向けに最適化しています。
読売新聞に送りつけた感想のような何か
読売新聞 松本美奈様
貴紙記事『異見交論43 国立大への税金投下に「正当性なし」』を拝読しました。
既にネット上では、この記事は軽く「炎上」しており賛否両論で溢れかえっておりましたが、私も貴紙にぜひ直接意見を申したく、こうして筆を取りました。
ちなみに、私は現在、小さなAI系ベンチャーで働く1人のエンジニアで、大学人ではないことをここに明記しておきます。
言いたいことは山ほどあります。全てを書き出したらキリがないのですが、まず一言で言えば、冨山氏の提言は時代遅れであり、今の時代にはそぐわない、ということです。
特に以下、冨山氏の提唱する「L型大学」と、そこで教えられるとされる「職能教育」「教養」について書かせて頂こうと思います。
職能教育のレベルが低すぎる
冨山氏は、より実践的な職能教育を行うL型大学の必要性を訴えます。
これ自体の是非は取り置くとしましょう。総論として、そういう意見も一理あるかもしれません。
ただし、細かく記事を拝読するに、氏のいう「職能教育」は、ハッキリ言って程度が低すぎます。
氏の提案では、L型大学の経済学部で会計ソフト「弥生」の使い方、工学部ではTOYOTAの最新鋭の工作機械の使い方を教えろ、とあります。
これを読んで、私は呆れ返りました。氏は日本企業を馬鹿にしているのではないかとさえ思いました。
こんな案を、氏は文科省の有識者会議で提案したのでしょうか。これは大学人だけでなく、今時のまともな企業人からも反発されるでしょう。
私はエンジニアですので、エンジニアリングを例にして話をしたいと思いますが……
仮にTOYOTAの工作機械の使い方を学んでも、それが役に立つのはTOYOTAの工場のラインに立つ工員だけではないでしょうか。
それは大学で4年もかけて学ぶべきことでしょうか。工業高校で十分ではないですか。
ではそのTOYOTAで、自動車の設計をする人はどういう職能を大学で学ぶべきなのでしょうか。
最新鋭の設計ツールの使い方を学べばいいのでしょうか。
違いますよね。自動車の動作原理を理解するための機械工学や制御工学、また最近は電気自動車にどんどん移行しつつありますから、電気電子工学の知識も必須です。スポーツカーなら、空力抵抗を理解するための航空工学も要るでしょう。
そうでなければ、どんなにいいツールを使っても、まともに動く、最新鋭の自動車を設計できるはずがありません。
そして、これら各種工学を学ぶためには、力学や電磁気学や解析学、線形代数、微分方程式なども予め学んでおく必要があります。
また、その「TOYOTAの最新鋭の工作機械」は誰が開発すればいいのでしょうか。
どれだけ工作機械を使いこなす技能があっても、その工作機械の性能がまともなものでなくては、精度の良い仕事など誰にもできません。
正確で緻密な工作を行える機械を作るためには、その機械を緻密に設計する技能が必要です。
そのためには、工作機械そのものの仕組みと、工作する対象となる自動車部品の性質を十分に知る必要があります。
それを学問として体系的に学ばなければ、「最新鋭の工作機械」など作れないと思いますが、いかがですか。
それとも、氏は「最新鋭の工作機械」は、日本には東大と京大の一部にしかない「G型大学」で開発すればいい、と思われるのでしょうか。
それではとても手が足りず、日本企業はたちまち国際市場で勝てなくなってしまうと思いますが。
応用の利かない職能教育なんてすぐ使えなくなる
また氏の想定する「職能教育」は、即物的すぎて、応用が全く利かないもののように思えます。
これについては、氏が記事の中で「最先端のAI」と統計について少し触れていますし、私もAIベンチャーで働いていますので、この数年でAI業界、IT業界に起こったことを例にお話します。
この数年、世界的にAIブームが起こって以来、日本中のITエンジニアの多くが、突然線形代数と統計を真剣に学ぶ必要に迫られました。
それまでのIT業界において、線形代数も統計も、一部の例外を除いて、それほど必要とは思われていませんでした。
これが突然「必須科目」となったことで、慌てふためくエンジニアも多かったのです。周囲でもそういう人達を見てきましたし、かくいう私自身、統計は元来あまり得意科目ではなく、苦労した思い出があります。
しかし本来ならば、線形代数も統計も、大学の教養課程で真面目に勉強していれば自然に身についたことです。
こうして日本国内のITエンジニアが泡を吹くのを尻目に、米国や、最近成長著しい中国のIT企業はどんどんAI分野で新しい技術開発を進め、今も成果を出し続けています。
とはいえ、今から「AIのための職能教育」コースを大学に準備していては遅いのです。この分野の現在の技術進歩は非常に速く、1年で知識が劣化します。
これについていくには、一般のエンジニアでも毎日次々とpublishされる論文に目を通し、新しい技術にキャッチアップしてそれを取り入れ、更に自分たちなりの技術をそこに上積みしていくしかありません。そうしないと世界に勝てないのです。
それに今から「AIのための職能教育」コースを作ったとして、効果が出るまで3〜5年かかるでしょうが、その頃には全く別の新技術が世界を席巻しているとも限りません。
そういう時、AIの職能教育しか受けていない人間は対応できません。数年前に日本のIT業界で起こったことが再び起こるだけです。
そういう人材しかいない企業が国際市場で勝てるはずがありません。
Preferred Networks というAIベンチャーをご存知でしょう。
AI*1に関しては東大をも凌ぐ研究開発力を持ち、昨年トヨタから100億の出資を受けた、日本で現在3社しかないと言われるユニコーン企業の1つです。
彼らが人材募集の応募要件に「コンピュータサイエンスのすべての分野に精通していること」と掲げていたのは有名な話です。
それは、新しい分野で技術開発をするには、それについていくだけの学術的な柔軟性と応用力を技術者が持ち合わせている必要があるからです。
実際、彼らは前身の Preferred Infrastructure では検索エンジンの開発をコアコンピタンスにしていました。
それが、AI技術が花開いたとみるやすぐに舵を切り、現在の業態にシフトして、4年程度で今の地位を築いています。
こうした、新技術にもすぐ対応できる「基礎体力」を今の企業人は欲しているのであって、その修練は大学にしか期待できないことです。
その基礎体力こそが「教養」です。冨山氏の「教養」は教養でもなんでもありません。
我々は専門バカが欲しいのではなく、きちんと体系だった学問に基づく広範な知識を大学で身に着けて欲しいのです。
今すぐは要らないと思われる知識も、数年後に突然世界中から求められるようになるかもしれません(現に、AIブームでそれが起こりました)。
冨山氏のような「普通の人には統計は関係ない」から統計を勉強しなくていい、などという態度ではやっていけない時代なのです。
同様のことは、先の Preferred Networks の西川CEO*2も言っていますので、その言を引用します。
一つの分野を知っているだけではもはや強みを出すことはできない時代になってきています。どのような分野と分野を融合したら新しい技術が生み出されるのか、最初から予見するのは難しいことです。私たちには、最先端の技術を切り拓いていくミッションがあります。そのために、すべての分野へ精通するべく、技術を追求していくことが極めて重要だと考えています。
追記
更に付け足すなら、これはG型大学でやればいいとか、L型大学ではやらなくていいとか、そういう問題ではないとも感じます。
高校レベルでの勉強の出来は、社会に出てからの仕事面での能力とは必ずしも直結しません。
にも関わらず、G型L型と分けることは、いわば大学入試で、高校レベルでの勉強の出来で才能を振り分けてしまうことになります。学歴社会もとうに終わろうとしているのに、これは時代に逆行する施策です。
高校で埋もれていた才能をきちんと発掘するためにも、レベルの高い教育を、日本全国どこでも受けられる環境は非常に大事だと思います。
また、もう1ついえるのは「競技人口」の話です。
私の友人のある優秀なITエンジニアは、プログラミングのことを「競技」と称します。
そして彼は「競技のトップレベルは、裾野の人口で決まる」と言います。私も、彼の意見に賛成です。
そしてこれは、一般の学問や科学技術にも言えることです。
G型とL型を分けるのは「裾野の人口」を無為に削る行為であり、ひいては日本の科学技術レベルを貶す行為であり、愚策だと思います。
以上、好き放題書かせて頂きました。読み返すと散漫な文章ですが、時間も限られるのでこの辺で筆を置きます。
乱文失礼致しました。