恐らくもう沢山の人が観たであろう『天気の子』、今更なネタバレ感想を書きます。
僕は公開初日最初の全国一斉上映で観て、その後感想ブログ書きたいなと思ってたんですけど、その時は他のことに時間取られてて書く暇なかったのでした。
今はもう押し寄せる感動とかも大分落ち着いてしまったので要点しか書けないし、同じことを誰もがもうたくさん書いているだろうし、ということで今更な感じがするのですが、まぁしゃあなし。
以降、『天気の子』『君の名は。』のネタバレがあります。両方のストーリーを知っている人向けです。
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ここいらで。
端的に言うと、非常にシンプルな話だったと思います。
主人公が女の子を助け、それで東京が水没する。
よく2000年代前半のエロゲだと言われているんだけど、僕はエロゲやらないから細かいところはわかんないけども、ただ当時流行したセカイ系に近い何かを感じます。
僕は単純に、「狂った世界より陽菜がいい」(うろ覚え)っていうド直球のセリフにぐっと来たし、それでハッピーエンドではなく、世界は壊れて、でも「この狂った世界で、2人で生きていく」(うろ覚え)っていうラストのモノローグにもぐっと来ました。 万人には刺さらないかもしれないけど、僕は非常に好みだと感じておりました。
しかしその後、公開直前の新海誠監督のインタビューを読んで、けっこう驚いたんですよね。
これでかなり、物語の見方は変わりました。いや、相変わらず好みな話ではあるんだけども。
「君の名は。」という作品は、すごくポジティブな意見をたくさん届けてくれた映画ではあったんですけど、それと同時に大きな批判もすごくいただいた映画だったんですね。その中でショックを受けた意見もいくつかあって。
例えば「災害をなかったことにする映画だ」という言われ方には、結構ショックを受けたんですね。確かに見方によってはそういう見方ができなくもない。
(略)
「君の名は。」の中で災害は起きるんですが、死んでしまった人を生き返らせる。僕はあれは、生き返らせる映画ではなく、未来を変える映画のつもりで作ったんですよ。あるいは、強い願いそのものを形にするとこういうものなんじゃないかっていう形が、映画の『肝』だったんですけど。
でも、「代償もなく死者をよみがえらせる映画である」「災害をなかったことにする映画である」という批判は、ずしんとくるものがあって。
確かに宇野常寛あたりが、3.11に絡めて舌鋒鋭く新海を批判してましたね。
あの批判も1つの見方としてわからんでもないけど、作者から観たら取るに足らない痴れ言やろ、と思ってたらまさか、監督にはめちゃくちゃに刺さっていたと。
そう聞くと、『君の名は。』とどうしても対比させてしまいますよね。
そう考えると、おおうこれはもしかして、新海誠にとってのリトライなのか、『君の名は。』のラストを『天気の子』で上書きしようとしたのか、などと当初考えてしまったんですが。
いや、違う、と。新海誠は『君の名は。』で災害をなかったことにしたことに大した意味などないと主張したかったのではないか、と考えるようになりました。
何せ、『天気の子』の物語構造は『君の名は。』と驚くほど似ていて。
主人公がヒロインと出会い、
しかし2人は離れ離れになって、
主人公はヒロインを救う旅に出向き、
苦難の果てに、廃ビル屋上の鳥居(糸守の山上の祠)というパワースポットを訪れ、
その力で奇跡的にヒロインと再開し、ヒロインを救う。
「災害が起こるようになった」か「災害が起こらなくなった」かが大きく違うだけで、あとはほぼ同じ話。
つまり、災害がなくなったかどうかなんて、物語の趣旨には一切関係ないということなのではなかろうか。
ラストでの災害の有無という結果は所詮、主人公がヒロインを救った副産物でしかなくて。
主人公がヒロインを救う、あるいは2人が再開して幸せになる、そのことは何も変わらないんだと。災害があろうとなかろうと。
そういう、監督からの強いメッセージだったのではないかなぁ、と。
……やっぱセカイ系なんかなぁ。