少し前に某所で「オイラーの等式を知ったときも、別段感動しなかった」と書いて、猛反発を食らった俺が来ましたよ。
ということで、オイラーの等式には感動しなかった一人です。うう。
えー以下、元のエントリーとはどんどん離れて勝手に書きますが。
とりあえず、仮に数学者だとか数学好きって人の間でも、その人の感動ポイント・萌えポイントなんてさまざまだと思いますですよ。オイラーの等式なりを見たときに、
- 理解できないゆえに感動する。
- 理解できないゆえに感動しない。
- 理解できるゆえに感動する。
- 理解できるゆえに感動しない。
実はこの4パターンが、その人のパーソナリティと相俟って、状況依存で全て成り立ってしまう気がします。
オイラーの等式をやたら有名にした『博士の愛した数式』も、それ自体はすばらしい小説であるし、例えば家政婦さんが博士の書いたオイラーの式を眺めつつ博士に思いを馳せる場面なんかも、何とも叙情的なシーンではありますが。
でもそれは、数学が何もわからない家政婦さんが、わからないなりに博士の内面を何とか理解しようとするところが感動的なのであって。
この小説で、オイラーの式なり、数学そのものの美しさみたいなものを語ってる訳では全然ない…と言ったら言い過ぎなんですかね。
※そういや以前の日記で『博士の〜』の感想書くかもとしつつ、結局感想書いてませんでした。まぁ別んとこに書いたのですが。
あと数学の美しさが語られるとき、微妙に「それは本質的じゃないところに感動していませんか」というのもあったりしません?
なんだったかなぁ…昔、どっかの新聞記者(文系な人)が数学科の学生相手に、アルキメデスの
線とは幅のない長さである
っつー定義を見せつつ、「何と美しい!」と一人感動していたんだけど、学生から「何が美しいんですか?」と味も素っ気もない質問で返された、とかそんな話をどこかで読みましたが。…まぁ、そりゃそうですよね。