bonotakeの日記

ソフトウェア工学系研究者 → AIエンジニア → スクラムマスター・アジャイルコーチ

科学とそうでないものの境目

檜山さんの日記に全面的に同意しつつ、コメント欄に書いたことの追記。

郡司哲学は哲学だとは思いますが、科学*1とは呼んで欲しくないな、というのが、今の私の気持ちです。客観性のあるものを、属人性を極力排除して語るのが科学だと思いますので。
哲学や文学では、文献の行間を読みながら、著者の真の思考に迫ろうとする手法が多いと思います。でも数理科学の世界で、行間を読まないと意図がわからない文章は基本的にダメな文章であり、そのダメさを排除するのは著者の責任です。

自然科学の人たちが数学を使う理由の1つは、自然言語で説明するより数式で説明した方が、コミュニケーションによる齟齬を排除して、著者・読者間で同じ概念を共有しやすいからで。でも郡司さんは、数式を自然言語と同レベルでの使い方しかしてなくて、このメリットを捨ててしまっています。
つか、郡司さんの使う圏論は結局、圏論語に見せかけた「圏論風ペギオ語」なので

  • 圏論語が話せない人には、圏論の単語が出てきてわからない
  • 圏論語が話せる人には、圏論として解釈しようとすると意味が通じないのでわからない

という、却って誰も幸せにならない状況を生み出している気が。

そもそも言葉で語れることは、概念や思想のほんのわずかな側面だけなのは事実。それは日本語を使おうが英語を使おうが圏論語を使おうが同じ。でも、そこで言葉に対してどういう態度をとるかで、科学かどうかの境目が発生するんじゃないかなぁ。


面倒なのは、読んでも解らない文章に直面したときに、読んだ方がアホだからわからないのか(^^;、書いた方が行間を埋める努力をしてないのかが判別しづらいところですね。(ここのやりとりもその影響があるわけですが。)


[追記] 続きといえば、続き→http://d.hatena.ne.jp/bonotake/20081021/1224579541

*1:ここでは数理科学のこと。

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