考察1と書きましたが、考察2があるかはわかりません。
実はep3やる前に、「ひぐらし」をざっと一通りやったんですが、それで改めて考えていたことを今後の推理のために掲載しておきます。ep3やった後で今読むと若干違和感もあるんですが、きっとその違和感も手がかりになるに違いない、と思われるので、自分用メモも兼ねて。
ひぐらし、うみねこ両方のネタバレがあるので、以降「続きを読む」で。
ep1-3での秘密のお茶会で、うみねこのゲーム盤(というか、ベアトリーチェのプレースタイル)について散々語られているのが、「ベアトリーチェは ラムダデルタと違って 一生懸命やらない。ここぞと言うところであえて手を抜く」というものでした。見栄えをよくするために、本気を出さないときがある、みたいな。
ところで一方、ひぐらしの世界にはルールX,Y,Z が存在したわけですが、でも、実際はそのX-Zの上に、ちゃんとは明示されていない、もう一個上のメタルールがあったように思います。それは
伴う意思が強ければ、確定事項になるし、弱ければ、起象確率が落ちてランダムになる
ということ。ひぐらしの世界は、願いが強いほど、かなう確率が高くなります。なので、ルールY(鷹野の意思)は最強だったのです。
うみねこの世界は、多分このルールがないのではないでしょうか。だから、本来死ぬべき人が死ななかったり、死なない人が死んだりしているんだろうと推測。
そうすると、何が嫌かというと。「ひぐらし」は、シリーズを通して共通事項を見出せば、それがヒントになったんですけど、「うみねこ」の場合、多分それがヒントになり得ないんですね。たぶん。